【ホラー/怖い話】紫のプレート【まるけす】

明日で俺たち夫婦は結婚五年目になる。
「羨ましいかぎりです」
そう言って運転手の男性は、バックミラーで俺を見た。営業スマイルではなく、本当に祝ってくれているように思えて「いやはや」と俺は、照れながら言った。
「昨年まで祝えなかったんですよ。仕事ばっかりで」
「お客さんのお仕事は、確か……」と彼が記憶を探っていたようなので、俺は答えた。
「建築関係です」
すると彼は「なるほど」と納得したようだった。
ウインドウの外は、雪と針葉樹林ばかりだ。こんなところに本当に宿があるのか。
でも妻が選んだ場所だからあるはず。


俺のように、フリーランスで建築に携わる職人は――一概には言えないが――年の瀬から仕事の依頼が増えていく。
理由は多い。例えば官公庁から発注された仕事の場合、予算を年度内に使い切り、仕上げないと来年度の予算に響くので冬場、依頼が増える……と言っても、俺は現場で作業する職人にすぎない。しかもフリーランスだから詳しい事情、計画は入札した会社、依頼主のみ知る事だ。俺はもう、体と技術を駆使して、人付き合いを大切にしながら、頼まれた仕事をこなす。

妻には少し悪いと思っている。
五年前のプロポーズのとき、まず「こんな時期に結婚?」と冗談だと思われ、了承よりもまず俺が本気だと理解してもらうのに苦労した。
プロポーズはしたいと思った時にするものだ。入籍もだ。
人生、何が起こるか分かったものじゃない。
善は急げ。時は金なり。

今年は仕事が落ち着いた。
一月下旬、二十一日から二十三日まで休みが取れた。奇跡的に結婚記念日と重なったのだ。大晦日から正月返上してまで働く俺を、神様が見ていてくれたのだろう。
そのことを妻に伝えると「ホント?」と喜んでくれた。そして「二人で旅行は……ダメ?」と、もじもじと提案された。
「いいよ。海外でも行ってみるか?」
そう、断る理由なんてなかった。ウチには子供もまだいない。
俺には子供ができるなんて想像もつかない。もし起こっても、すぐ対処できるよう妻がきっちりと家計を管理してくれている。海外旅行するぐらいの貯えはある。
俺は妻と二人でゆっくり休める場所、時間が少しでもあれば自宅でのんびりしてもいい……と、五年間も記念日をないがしろにした。
妻は「国内で大丈夫」と言ってネットで宿を探して、予約までしてくれた。
内需の功。縁の下の力持ち。
妻には頭が上がらない。


俺たちは今、関西の山村にいる。雪の降り積もる、しなびれたところだ。
駅から車で送迎してくれたのは宿の従業員、俺と同じ三十代の男。

山の中腹まで来ただろうか。駐車場で停車し、俺たちは降りた。
意外だった。駐車場には車がずらっと停車している。こんな雪しか特徴の無い村なのに。
男は、今日で三十台はあると言った。
「申し訳ありませんが、ここから宿まで徒歩で向かいます。お荷物はそれぞれ、しっかりお持ちください」
彼は車のトランクから俺たちのリュックや鞄を取り出して渡してきた。そして彼自身もリュックを背負っている。登山家さながらの大きなものだ。
「どれぐらいかかりますか?」
俺は時間を問いながら妻の荷物も持ってやる。両手に鞄、背中にリュックを背負う。
彼は、十分ぐらいです、と言ってから己の右胸を指さした。
彼の服には紫のプレートが付いている。一体何なのか、尋ねる前に彼はポケットから同じものを二つ、取り出して妻に渡した。
「これを右胸に付けてください」
すると妻は、両手を塞がれた俺にそのプレートを付くれた。学生時代のネームプレートのように安全ピンで止めるものだった。
妻も同じように自分の胸に付けた。
「では、行きましょうか」
彼は山の方へ向かっていく。俺たちも彼に続いた。


雪の降り積もる獣道を歩いた。俺は大丈夫だが、妻は疲れてしまい、汗を流してうずくまった。
「大丈夫か? おんぶしてやるよ」
「ううん。少し、息が上がっただけ」

すると先を歩いていた男が歩み寄って来た。
ざく、ざくと雪を踏みならして。
「大丈夫ですか?」
「ああ」と俺は返事し、質問する。
「まだかかるのか?」
「ええ」
男は。でも、と付け加えた。
「奥さんのペースだと危険かもしれない」
どういう意味だ? 俺は空を見上げた。
木々に覆われ、あまり伺えないが天候は悪くない。
風も空気も冷たく寒いが、思っていたほどではないし、歩くにつれ体温が上がっている。
男は、己の右胸を指さした。
紫のプレートだ。
「ここは〝でる〟んですよ」
「幽霊かい?」
俺は冗談のつもりだった。しかし男は「それもあります」と言い切った。
「脅かすつもりではありません。注意です」

客である俺たちに何を――。

「深い話は宿でゆっくり……一つはごく普通の幽霊です。生きている人間に憑りついて、不幸にさせてしまうっていうタイプ」
霊感など無い俺にとって、何が普通で何が異常かわからないが……男は続けた「それで紫のプレートです」と。
「これを付けていれば、幽霊に憑りつかれたりなんてしません。長年、ここに勤めている自分で立証できます」
男は胸を張って言うが、そんなことより妻の呼吸がおかしい。
咳を始めてしまった。俺は手の荷物を雪の上に置いて、背中をさすってやる。
おやおや、と男が間延びした声で言う。
「もう一つのタイプについてですが」
こんなときに、こんなところで――俺は片手で妻の背中をさすりながら、片手で背中のリュックを下ろし、ファスナーを開ける。
確か用意のいい妻が、飲み物を用意していたはずだ。水分を取らせなければ。
「で、このプレートではもう一つのタイプは防げないんですよ」
「ああ?」
俺は決して怒っている訳ではない。普段、仕事現場はやかましいのでこういった、短く意味をこめた声を出してしまう。いや、それより妻を――。
「奥さんは長旅の疲れでしょう。もう一つのタイプは、誰にでもはっきり見えて、襲ってくるんです。けっこう危険ですよ」
「ちょっと黙ってくれませんか」と俺が言うが、男は続けた。
「ただし、このプレートでは防げないんです」
俺は妻に水を飲ませた。
すると妻の咳は止まり、息も整い、さっぱりとしたいつもの笑顔になった。
「ねえ、ちょっと」と妻は男に向かって言う。
「そんな話、冗談でも止めてくれません?」
「冗談なら言いません。冗談じゃないから言っているんです」
男は偉ぶった言い方をしやがる。俺の妻に向かって、だ。
「じゃあ聞くがな。その幽霊とやらは何をしてくる?」
俺の質問に、男は「さあ? 霊感などありませんので」と返事しやがる。
間髪入れずに妻も問いかけた。
「どうやって防ぐの?」
「宿まで行くんです。見けたら、やっつけて宿まで連れて行く」
男は背中を見せる。大きなリュックサックには、そのための武器がつまっていると言った。
俺は唾を飲み込んで尋ねる。
「霊感が無いのにどんな姿か、知ってるようだね?」
「もちろんですよ」
男は振り返らないまま言った。
「そいつもプレートを付けていまして――おっと」
すると男は振り返った。
「どうします? 宿まで行きますか?」
男は笑顔だった。
俺と妻も頷く。
従うしか無い。
マユツバの幽霊など怖くない。
が――。

あとがき
解説

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