【ホラー/怖い話】後ろ

時計の針が12時ちょうどを差している。

窓のそとに覗くのは都会のきらめく夜空と町並み。都心の一等地に居を構えるとなってすこし値が張るとは言えここにしたのはこの光輝く夜景が決め手だった。遠く覗くビル群の灯り一つひとつが鋲を打ったように散らばっていて、通り過ぎる自動車のヘッドライトがそれにアクセントを加える。光の道筋の中心は歓楽街であり溢れる薄水色が冷めやらぬ喧騒を渦巻いて空へと溢れだしていた。しかし今はそれとは対照的に心はどんどんと暗くなっていく一方だった。

読んでいた雑誌をテーブルの上に置く。今の気持ちと同じ暗い内容の雑誌だった。都市直下地震に備えてできること。うちは全部固定家具だから安心だけど。

この時間になると胸の奥に苦いものがこみ上げてくるのを抑えることができない。不安や心労などではない。そんな精神的なものではなく、もっと物理的なものだ。

テーブルの上に置いておいたコーヒーの受け皿がかたりかたりと動き始める。

ー来た。

微動はやがて気の所為ではなく明らかに人為的なものが加わっているのが分かるほどに激しいものへと姿を変える。家具までもが揺れだす。背後にある年代物のクローゼットが、天井からぶら下げられた蛍光灯がきしみだす。振動が激しくなっていくにつれてコップに注がれていたコーヒーがしじまをつくって飲み口から溢れ出しソーサーを汚す。白が黒へと変わっていくのを眺めながら、喉をならした。影が多い。

自分自身以外にももう一つ影が出来ている。蛍光灯にゆらされてうごめく、短くなったり長くなったりして形を常に変えつづけていた。それはさながらヒトガタを保とうと躍起になっているようにも見えた。息を口からすっては鼻から抜いていく。そのたびに獣臭い、生理的に受け入れがたい匂いが肺の中を満たしていく。しかし不思議と私にはそれが嫌ではなかった。というのもその匂いがとても懐かしいものを含んでいたからだ。その男臭い、脂ぎった匂いは間違いなく前夫のものに、程度が違いすぎるとはいえ間違いはなかった。もし私が今の状態で振り返ったらきっと夫がいる。でも振り返れない。振り返ってはいけない。夫はとうの昔に『死んで』しまっているから。そしてきっとこの出会いは良いものではないから。振り返ってしまえば戻れないような気がするから。

「来たのね?」

もう何度も繰り返したやり取りだ。聞くたびに彼の影が不満なのかぶるりと大きく震える。もどかしげに、まるで伝えたいことが違うとでも言わんばかりに。以前はこのまま矢継ぎ早に質問していたがすべて無駄だった。わかっているからこその無言の時がたんたんと続いていく。いつの間にか揺れはもう収まって、ただただ静寂だけがねっとりと流れ淀み渦をつくって闇の中に落ちていっていた。影がその姿を大きく膨らましていく。私は身構えた。この後に続く言葉も決まっている。

「後ろ!」

それだけ言うと、ふっと影は失せて消えた。

もうあとには何一つ残っては居なかった。ただただ見慣れた風景と、薄ぼけた橙色に照らされた日常がそこに身をよこたえているだけであった。どっと疲れがきて、イスの背もたれによりかかる。もう2週間はこんなことが続いている。胃がんで急死した私の夫が「後ろ!」の一言だけを残して消える。心霊現象としか思えなかった。

最初のうちは心労のせいでありもしない幻影をみているのだと、医者からも言われたし、自分でもそう思っていたから薬を飲んできちんと『治そう』と頑張った。

しかし。私は手元のコーヒーを見た。受け皿にはこぼれたコーヒーが飛沫のあとをのこしたまま淀み溜まっていた。もちろん私は手すらふれていない。精神的なもので物理的な行動は起こせない。紛れもなく夫の幽霊は存在していた証拠だ。

「何がしたいのよ」

思わず頭を抱え込んだ。夫との関係は良好だった。自分で言うとなんだか照れてしまうのだが大恋愛の末の結婚だったからその絆も深いものだった。もちろんアクが抜けてしまってほろ苦いいだけになってしまったいやな思い出というのもたくさんあるのだけど、少なくとも恨まれるようなことはしていないはずだ。だからこそ分からない……。なんで、死んで私を困らせるようなことばかりするのか。わざわざ成仏せずに夜な夜な決まった時間に現れてそこまでして果たしたい、伝えたいものって?頭のなかをぐるぐると良くない、汚い考えが渦をまいては消えていった。

頭をふって思考を中断する。気持ちを切り替え、携帯を取り出した。

今日が決めていた2週間目であった。2週間過ぎてもこの異変が起き続けているなら除霊屋の人間に依頼をしてお祓いをしてもらおうと。生きてる人間ならまだしも死者のことなんて考えるだけ無駄である。除霊師にたのんでみればこの不安な胸の内も少しは和らぐかもしれない。淡い期待は確信めいたものへと変化していた。

 

かくして私は除霊専門の業者に頼んだ。実際に頼んでみるとなんということはない。ピザの出前と大した違いは無かった。選んだ僧侶は地縛霊などに強い、いわば都市専門の除霊しという人だった。彼の仕事依頼用のフォームにメールを送ると快い二つ返事で連絡が届き、三日後の依頼へとこぎつけた。

ーやっと楽になれる。

しかしその結果は大きく違うものとなった。

坊主は首をひねるなりこういった。

「どうにも、ここには悪霊の気配などといったものは微塵も感じないのです」

「でも現に夜な夜な現れては、私に一言。後ろとだけいって消えるんです」

「うーん」

僧侶は首のうしろを掻いた。

「確かにこの霊は、現世に未練があって現物化しているのに違いはないのですが、間違いなく悪いものではない。そう思うんです」

「どうして?」

「どうして。と言われましても。確信を持っては言えないのですが、この方はあなたを守りたくて、霊現象を引き起こしてるように思えるんです」

ーひとつ夫さんと向き合ってみてはどうでしょうか

僧侶はそういった。

「でも、不安です」

「大丈夫です。彼は絶対にあなたに危害は加えません。なんなら、私が同伴いたしましょうか?」

「え」

「構いませんよ。このままだとお金だけ取ったような印象になってしまいますからね」

 

その日もいつもと変わらない退屈な1日だった。いつもと違ったのは僧侶が直ぐ側にいたことくらいか。私は、いつものようにテーブルに向き合って座っていた。

時計の針が少しづつ約束の時へと向けて時を刻んでいく。短針と長針が重なり合った。

「来た。お願いします」

「承りました」

やがて、いつもの通りの複雑怪奇が始まった。僧侶はさすがはプロと言うべきか、いきなりがたつき始めたテーブルを見ても片眉を僅かにうごかしただけで動じている様子は見せなかった。影が増える。そっと僧侶に目配せをする。彼は今がチャンスだと言わんばかりに小さく一つ頷きを返した。私はそのままそっと、いまの今まで封印してきた後ろを見るという行為。それを実行に移した。

ー目の前に映ったのは『無』だった。

「そこにいるの?」

何もない。ただのタンスだ。しかし、そこには間違いなく彼がいた。目で感じ取って脳の中に像を結びつけることはできない。しかし第六感とでもいうのか、嗅覚が、触覚が、彼のことを敏感に感じ取っていた。空中に手を縫い付ける。そっと彼の頬を撫でるように。

「あなたは、何が伝えたかったの?」

 

次の瞬間

「前!」

「ーは?」

彼が消えた。気配も何もかもが消えてしまっていた。

「前?と聞こえた気がしました」

「いえ、間違いなく彼は前と言っていました」

「前、前、後ろじゃなくて?」

「いたずら。なんですかね」

その言葉が頭の上でなんどもぐるぐると回った。改めて指摘されるとアホらしい。

なんだかもう、拍子抜けしてしまった。全身から力が抜ける。結局のところ彼のこの行為はただのいたずらそれ以上の価値を持つことは無かったのである。呆れた。僧侶もそんな私の気持ちを察したのか、微妙な苦笑いを浮かべるよりほかにないような感じだった。

「どうされますか?二度と出てこれないように強力な結界をはることも可能ですが」

「それなら、よろしく。もうこんな馬鹿馬鹿しいこと続けてられないわ」

 

△△△ ▲▼ ▽▽▽

 

僧侶は簡単な結界をはってそのまま家路についた。霊自体は弱いものだからもういたずらはできないだろうと。それだけを告げて。彼自身もこれが大事になるとは思っていなかったから。

 

ーーそれから一ヶ月たって

 

「うぉ」

それはちょうど十二時のことだった。激しい揺れで僧侶は目覚めた。幽霊が自宅に押しかけたのかと思ったが違った。地震だ。しかも大型の。

2019年4月の18日の十二時。其の日が地震の日となった。

不思議と大規模な死人などは出なかった。マスコミなどによって事前に通告がしっかりと行き渡っていたからだった。胸騒ぎがした。

僧侶の脚はあの未亡人、不思議な現象に悩まされられていた女性の元へと向かっていた。

 

部屋のドアは開け放されていた。

彼女のマンションの前にはちょっとした人だかりが出来ていて、それをかき分けるときに雑談が耳に入った。

「彼女、災難だったわね」

「でも、あんなのわかりっこないって。ネジが緩んでたなんて。神様でも無い限り」

 

やがて人混みの前に出ると同時に救急隊が担架で彼女を運び出していた。

「あぁ、後ろと前って、そういうことだったのか」

僧侶は目の前の肉塊と化した遺骸を見ながら呆然とそう呟くより他になかった。

 

あとがき
解説

【ホラー/怖い話】後ろ

小説タイトル作者タグ読了予測時間(分)
みっくちゅじゅーちゅ夜空人間系、グロ注意4
その瞳は何色か夜空ミリタリー、人間系5
ドライブKAITO人間系、パッと読み1
トモダチ瀬尾標生心霊系3
犬鳴峠夜空心霊系5
ピアノと妖精瀬尾標生心霊系6
藁人形夜空心霊系、怪奇系4
幻の原稿夜空怪奇系10
サツジンジケン瀬尾標生心霊系、怪奇系5
樹海の中で夜空心霊系20
違和感瀬尾標生心霊系、グロ注意8
ミソカヨー夜空心霊系、怪奇系10
嫌な家夜空心霊系、怪奇系7
悪魔(上)瀬尾標生心霊系、洋風12
悪魔(下)瀬尾標生心霊系、洋風7
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鼻(中編)夜空人間系、意味怖10
鼻(後編)夜空人間系、意味怖10
(E)scapeGoat瀬尾標生人間系、サバイバル系7
Night Terror瀬尾標生人間系、パッと読み1
隠し家の三悪人(上)夜空人間系10
隠し家の三悪人(下)夜空人間系10
ホクロ夜空意味怖、閲覧注意5
緊急停止初矢粒人間系、グロ注意3
訳あり物件まるけす人間系、都市伝説、一部実話、パッと読み1
迷信不信初矢粒意味怖、心霊系4
産まれて来るキミへまるけす意味怖、心霊系5
魂売りませんか?夜空意味怖、心霊系5
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後ろ夜空意味怖、心霊系5
鉄の雫初矢粒人間系、グロ注意5
催眠まるけす人間系3
人魚姫その後
夜空意味怖6
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