OVER ENDING【8bit】カーテンコールと五分前説

 歪みが、彼女の瞳に映し出される。目前に広がる膨大な草原という緑に満ちた背景とは裏腹に、視界の端には黒色の何かが蠢いていた。
 それはまるで、ゆっくりと紙を端から燃やしていくような。
 それはまるで、次のページへとめくる為に翳した手の影のような。
 だが、そんな事など今の彼女にとってはとても些細な事。
 何事も今の彼女にとっては些細な事なのだ。彼女がそちら現実世界に体を置いてこちら電子世界に来た事すらもそうだ。精神と肉体が解離し、精神は新たな体を手にすると同時に肉体は伽藍になり果てる、その事実さえも。
 彼女がいるこの世界が現実世界であるか仮想世界であるかなど、その真偽を確かめる事すら今の彼女には不要なのだ。
 見える物が現実であり、そうでないものは現実ではない。
 偏った概念に従い行動する彼女にとって、この歪みが真実であるか虚偽であるかは重要ではない。何せ、その“歪み”すらも彼女は現実の一つとして認識しているのだから。

「――ごめんね、ミナミ」

 たった一つ。
 彼女は言葉を告げたがっていた。
 届くはずのない声だとしても、返事が来ない事を知っていても……
 重なるたび涙声へと変わる言葉を、彼女はミナミという名の少女に伝える事を願った。
 誰でもない彼女の言葉が空に反響する中、視界の端で捉えていた歪みは徐々に大きさを増してゆく。
 これが果たして目じりに溜まり、頬へと流れる涙の所為なのか。知り得ぬ疑問が頭を横切る。
 ――あぁ、もうミナミがどうして死んだのかも思い出せないよ。
 彼女は心の奥底で、そう告白する。気づけばミナミは死んでいて、気づけば彼女はミナミを背負っていて、気づけば歪みは徐々に浸食していた。
 謝らなければならない。それは知っていたが、何故謝らなければならないのかを彼女は覚えていなかった。
 何もかもが不明慮な状況下、それでも彼女はまだ止まらぬ涙を流し謝り続ける。

『――ァ』

 声が聞こえた。
 日が沈む境界線の方から聴こえたその声は、人が理解出来るほどの音量ではなかった。彼女は一度言葉を発することをやめ、耳を澄ます。
 ここには誰もいないはずだ、そう決めつけていた彼女にとってその声は違和感その物でしかない。
 恐怖故か、好奇心故か、彼女は止まっていた足を再度動かし歩み始める。

『――ァ』

 また声が聞こえた。
 だが今度は前方からではない。彼女の背後から発せられた声だ。

「ミ、ミナミ!?」
『――ァ』
「死んでなかったんだね! 大丈夫だよ、ミナミ。私が必ず、絶対助けてあげるから!」
『……』

 ミナミからの返事がない。多分疲れているのだろう、そう彼女は自分に言い聞かせてまた前に進み続けた。
 
 ――あれ?

 この時、彼女はやっと気づいた。ミナミの事だけに気をかけていたから気づけなかったのか、それともその事実から自らを遠ざけていたのかは分からない。けど、今更になって彼女は気づいた。

 ――寒い?

 風もさほどなく境界線の向こうに沈む夕日と橙色に染まった空を見て、寒気の言葉が思いつくわけがない。何処からどう見ても、目前に広がる景色は夏の夕暮れそのものだ。なのに、そのはずなのに――
 彼女は酷く寒いと感じ取った。

「す、少し寒いけど、大丈夫。もう少しで助かるからね。安心して、大丈夫。……大丈夫だから」

 そう強がってみるものの、事実寒気はその存在を徐々に増していく。夕暮れの草原、そこで白い息を吐く少女という、ミスマッチな舞台が完成する。
 だが今の彼女に弱音を吐く権利はない。死んでいると思われたミナミが、自分を守って死んだミナミが生きていたのだ。だったら最後まで自分の力でミナミを救わなければならない。救われたのだから、それに報いらなければならない。そう、彼女の正義感と責任感が彼女に言い聞かせる。

「じゃ、邪魔しないでよ……本当にもう、厄介なんだから!」

 だが、当然の如く彼女の理念を邪魔するものがあった。
 “歪み”だ。
 視界の右上からジワリと広がり続けているその“歪み”は、先程までは気にする程でもなく小さかったのに、今は彼女に苛立ちを覚えさせるほど大きくなっていた。
 “歪み”の奥底、大草原の明かりとは裏腹に暗闇が広がっていく。直感的に“寒い”と思ってしまうほど、“歪み”の暗闇は恐怖を植え付けた。

『――アァ』

 まただ。
 先程から微かに聴こえる声が反響して、遠くの声が容易に耳に届く。気にするほどの音量でもない。気にしさえしなければいいんだ。
 なのに、彼女はそれが出来なかった。小さな声が少しでも彼女の耳に届くだけで苛立ちを覚え眉間にしわを寄せた。
 ――やめて
 彼女はそう唱える。
 ――邪魔しないで
 だがその度に、“歪み”は浸食速度を上げる。じわりじわりと、視界を占領していく。
 ――どっかに消えて
 ビリッ、ビリッ
 “歪み”が広がり、景色を蝕んでいく。
 ――もう、やめてよ
 “歪み”の影響を受ける現実が、徐々に姿を変える。
  それを必死に隠すため、心すらも蝕まれる事を拒むため、彼女は両目を閉じた。

「――さっさと消えてよッ!」

 その刹那――
 全てが破れる音がした。全てが焼き切る音がした。
 一瞬にして閉じられたはずの幕は開かれ、彼女は降りた檀上にもう一度引き戻される。それは目を閉じた彼女にさえ、直感的に理解できた。視覚以外の五感、味覚と嗅覚と感覚と聴覚が現実の変化を感知し、物語っていた。
 だからこそ、彼女は恐れを抱く。何かが変わったと、自分が見ていた世界が、現実が指を鳴らしたように変動したと。瞳を開いて変わり果てた景色を見たくなかったんだ。認めたくなかった。
 だが、今の彼女には目を開ける以外の選択肢が与えられていない。理由は簡単だ。
 徐々に大きくなる、謎の呻き声。それに対する恐怖が彼女に命令する。目を開けて確認しろと。無知の恐怖から逃れろと。自分の恐怖の権化を認識しろと。
  その命令に従い、彼女はついに目を開けた。ゆっくりと片目ずつ、現実を唐突に突きつけられないように、慎重に。

「――な、なによ、これ」

 彼女は気づく。同時に、彼女は一つの結論を築く。
 現実なんて、“嘘”だ。ほら、指を鳴らせば世界は簡単に姿を変える。スイッチ一つで景色は一変する。本物だと思っていた真実が偽物になり果てるのなんて、一瞬でもあれば十分だ。信じ込まれた真実は、それが植え付けられた知識だと知るまで偽物だと気づくことは出来ない。ならば、現実とはなんだろうか。真実と虚実の違いは何なのだろうか。真があるとして、双方とも嘘になり果てるのであれば、世の中は嘘で出来ていると言っても過言ではない。
 ならばきっと、この景色も、先程までの景色も、全て嘘なんだ。全て偽物なんだ。
 それが彼女が出した結論だ。目前に広がる激変した景色を目視して理解した概念だ。
 
 辺りを照らした夕暮れ、境界線まで広がっていた草原、風に揺れる木岐、それらすべての姿はどこにも見当たらず、彼女の脳が捉えた場面は別物。
 辺りを微かに燈る蛍光灯、廊下の隅々まで散らばった花瓶の破片、壁を伝って聞こえる呻き声。消えた要素を埋めるように、これらは現れた。
 彼女はこの場所を知っている。多分映画などが好きな人には、特にホラー映画などが好きな人には、直ぐに解るだろう。
 ここはそう――

「何で……廃病院? どうして?」
『――アァ』

 彼女の質問に答えるようにミナミが声をあげる。
 ――大丈夫だ、ミナミがまだいる。彼女が居れば……
 最後の希望だった。ミナミの存在が彼女にとっての、最後の光だった。生きる希望の燈火だった。
 不安に満ちた彼女は、ミナミの方へ振り向いた。
 存在を確認して安心するために、大丈夫だと自分に言い聞かせるために。

「――ミ、ミナミ?」

 振り向いた先、彼女は視界でその事実を捉えた。そこに、彼女の背後に居るのはミナミではなかった。
 可憐だった表情は、美貌その物だったミナミの姿は消え、その代わりにそこには――

 腐敗しきった屍。 次の瞬間、彼女の首元を噛み千切る姿があった。

<了>

◇OVER ENDING 8bit カーテンコールと五分前仮説

タイトル作者
カーテンコールと五分前説瀬尾標生
the last of yours夜空

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